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2013.11.29
情熱の赤色は常に赤色ではない!?っていう話の続きです。
なんと、他人の目に見えている赤色が、自分にとっては本当はどんな色なのかは、
原理的に決して確認できないそうです。
だって生まれたときから赤色に見える人は、血液もたき火の炎も夕日も、赤色に見えているのだから、どこまで話してもどんな実験をしても赤色のまま辻褄が合ってしまうという訳です。
でも、最後まで辻褄が合うなら別になんの不都合もないじゃないか、ということになりますよね。
確かに不都合はありません。だから世界で誰もこのことで困っていない訳ですから。
この問題に取り組む学者以外は。
ここでちょっと考えます。
生まれた時から赤色に見えている人がいるとします。
もしドラマや映画の感動的なシーンで美しいヒロインの吐血が、スライムみたいな明るい赤色だったら、、、
私はたぶん泣けない気がします。
「おいおい(;´Д`)ノ」ってなって、もうSFモノのスプラッターなシーンにしか見えないと思います。
でもその赤色の人にはなんの違和感もないはずです。いつも見てる血の色だから。
その人は真っ赤な太陽に青春をかけるわけです。
熱い血潮を燃えたぎらせるわけです。ファンキーな青春ですね。
ということから、赤色には、というか赤色には、色としての本来的な意味で情熱的とかそういう感覚を呼び起こす性質はなく、経験的、環境的な「赤色」にこそ情熱的な意味合いが生まれてくる、のではないか、ということです。
これ、納得するの簡単です。
ここまで読んでから、もう一度、「その参」の頭からこのコラム読み直してみて下さい。
例えば、あなたの赤色が赤色だということにして。
良〜く理解できると思います!
今回のお話、「クオリア」っていう考え方で、ちゃんとした科学者たちにより、かなり込み
入ったお話が展開されております。興味を持たれた方は是非調べてみて下さい。
色だけでなく、音の感じ方、匂いの感じ方、その他なんでもかんでも「こんな感じ」って言い表されるものは全て同じように、どう他の人が感じているか確認できない、という驚愕の内容です。
以上、人間は本当の意味では、それがどんな「感じ」であれ、完全に他人と共有できているということは証明できない、という孤独で哀しい科学の話でした。
※ちなみに、火星では夕日はなんと青いらしいですよ!青色です。
火星と地球の大気に含まれる塵の大きさの違いによるものだとか。
青い夕日って…、感情高ぶった若者が夕日に向かって叫ぼうとしたら、なんか妙に冷静に
なって、「まいっか」とか言って帰りそう。あと、夕日ってよく見ると橙色ですよね。
夕焼けは赤いけど。ごめんね。